親
どうも、けんです
「お母さんのことが大好きなの好感持てます」
みたいな事を言っていただけたので、親についてのことを書こうと思います
ぼくが3~4歳くらいの頃に親がキッチンで喧嘩しながら押し合いしてたのを見てクソ泣いてたら兄がぼくを洗面所まで避難させてくれて、けんくん大丈夫だよって言ってくれたのを覚えてます、兄、優しいですね〜………
まあこいつは十数年後にぼくの金を数万盗んだりぼくのPS3を勝手に売って借金返済にあてたりしやがりましたが‼️‼️
んで、喧嘩の末両親は別居して、ぼくと兄はお母さん側で住むことになりました
父親がぼくと兄の養育費として、お母さんたちとの生活費等もろもろを負担してくれました、でも一応何かあった時のためとして母親はパートの仕事を頑張ってくれて、生活をより豊かにしたり貯金をしたりしていました、ありがたいです本当
小学生低学年の頃とかは週末はお父さんと一緒にどっかに遊びに出かけたり、公園でキャッチボールしたりしてましたね〜〜いや〜懐かしい
そんで高学年とかになりかける時、学校行こうと支度してたら母親がぼくのとこ来て、ブルブル震えだしてぼくに縋るような体勢になって、途中で嗚咽とかして、ほんとうになんか、見てられない感じになってたことがあります
以前から母親と父親の間でずっといざこざが続いてたらしく、母なりの限界が来たみたいです
んでなんかその日あたりからぼく父親と遊びに行った記憶とか無くて、味方の敵は敵みたいな感覚で父親のことが嫌いになり始めてしまいました
母親がパートに行くのは、たまに父親が生活費を振り込まなくなったりしたからって言うのもあるらしいんですけど、パート行くのに対して
「パートに行かなくてもいいくらいの生活費を振り込んでるんだからパート行かなくていいだろ、母親たるもの、ずっと家にいて子供のそばにいてあげるべきだ」
って怒ったりしてたらしいし、
母親がやばいくらい体調悪くなったりした時もすぐに入院させずに自宅療養させた(たしか医療用のなんかしらを用意はしてくれてたはず)り、
働きすぎて過労になって倒れたりしたこともありました
なんかぼくは、完全に母親サイドでしか父親を認識することが出来なかったから、そういう母親が目に見えて苦しんでいるのをみて、ますます父親に対する憎悪?が積み重なっていっちゃったんですよね
ほんで、ぼくが高1の最後あたりの時、母親の仕事先が埼玉の方になってしまいまして、当時千葉のだいたい船橋あたりに住んでましたから、通勤時間がとてもかかる訳なんですよ
あまりの通勤時間に母親も限界を迎え始めてきて、
「お母さんが埼玉に一人暮らしして、現在別居してるお父さんがぼくんちに来て住む」
っていう提案をして来まして、ぼくはもう全然OKだったんですけど、父親的には育児放棄だみたいな意見で、それに対してぼくが反発しまくったって言うのがあるんですよね
上述の、母親がなかなか入院出来ませんでしたって話も、ぼくが勇気出して父親に抗議して入院させたみたいなのがあったから、使命感感じて今回も抗議したんですよね
なんかぼくとお母さんが住んでた家に父親と兄がきて家族会議的なのになって、ぼくがあーだこーだいって、結局お母さんの引越しOKになってお父さんと兄が家出た瞬間なんか、緊張がどっと抜けて、めちゃくちゃお互い号泣しながら抱き合う、感動ストーリー(笑)みたいになってました
入院うんぬんのときも絆ややあったけど、この一件以来絆エグなりましたね〜
ぼくは父親のことをなんか本能レベルで嫌いになってたから、父親と一緒に住み始めてからすげー辛かったのがありましたね、なんか、本当に父親に対して態度が悪かったです、本当に悪かった
ほんで、大学生になっても嫌い度が変わらなかったんですが、引っ越す2~3か月前くらいから徐々に父親に対する感情が和らぎ始めてきて、今は全然大丈夫になりました
でも高校大学のころめっちゃ態度悪かったのがあるから、父親に対する心の開き方わかんなくなって、なかなかいい感じに関われなくてムズムズしてます、はやくいい感じになりたい
とまあこんな感じなんですけどもね、あのー正直、いま思えば、ぼくは父親クソ悪いわけじゃないと思うんですよ
母親には母親の考え方、父親には父親の考え方があって、おそらくなんかタイミング的なのが悪かった?のもあって上手くそれが噛み合わず、喧嘩になり、別居になってお母さんとだけ住んだことで、良くも悪くもぼくがお母さん色に染め上げられてしまったんだと思うんですよね〜
だからなんか、親って、責任すごいありますよね、親の振る舞いが子供にすごく影響与えちゃうしさ
お母さんに対する愛的なのは、ある意味、なんかいびつな感じなのかなとかおもいますね〜
早くお父さんと仲良くなりたいです
てなわけで、今回はここまで、さよなら〜